列車事故に想う
□投稿者/ ますたー 殿堂入り(95回)-(2005/04/26(Tue) 19:59:39)


地域:[近畿] 

今回、あの列車に乗ってた人の10人に1人以上死んでしまった訳だ
俺様の信念でいうと→『想像は創造に構造される』

「その人が想った現実」が起きた..というわけだが
考えてたが..、難しいな 今回は..

「事故に逢うかもしれない」「死にたい」と想った人ばかりが
その列車に道引かれて行ったという仮定になる..

そう考えると「マフイーの法則」
つまり、「潜在意識」は使いかた で『恐ろしい結末』にも、なる訳だ

もし、5号が その列車に乗ろうと思ってもドアが開いた瞬間 辞めたろう
俺様の仮説でいうなら げげげの鬼太郎の「妖怪列車」と同じだから    

自分1人の構造と何百人もの人の構造が結びつく
そう考えれば、やはり みんな意識というのは『ひとつ』じゃないのか
と想えてくる

個別の事柄は納得出来るけど
大規模な死は..理解するのが困難だな
まだ、今回は「その列車に乗る」ように構造されて行った
と、仮定しても..
たとえば、広島の「原爆」とかは..
いろんな想いの人の結末が「同じ」というのはさすがの俺様もまだ、理解出来ん

こんな事故が起きるといつも想い出すのは「歌舞伎町キャバクラ火災」
あの時は、そんなとこ行ってる人も働いてる人も「死んで当然、自己責任」..って
風潮だった
同じ『死』に 違いがあるのだろうか

通り魔で子供を殺す事件も多い
運転事故で70人死なせてしまった運転手、
死者の数で、悪さも変わるんだろうか

国鉄民営化の前日「民営化反対ー」とデモしてた同級生が
次の日、「新しいJRよろしくー」とビラを配ってるんや..俺
って言ってた事も、なんとなく思い出した



▽[全レス2件(ResNo.1-2 表示)]
■813 / ResNo.1)  Re[1]: 列車事故に想う
□投稿者/ よしむね 見習い(1回)-(2005/04/27(Wed) 00:05:22)


地域:[全国] 

マスターさまこんばんわ。。
>『想像は創造に構造される』

>いろんな想いの人の結末が「同じ」というのはさすがの俺様もまだ、理解出来ん

でもその「想い」は確かにあったのではないでしょうか?
例えばスピードが出すぎているときに危ないかも?事故るかも?と思った人。
脱線した時に死ぬかもと思った強い想いが存在していたはず。
その時でも強く「生きる」と思った想いも。

亡くなった方々のご冥福をお祈りします。



■817 / ResNo.2)  Re[2]:以前にもカキコしたかな?
□投稿者/ 5号 殿堂入り(99回)-(2005/04/27(Wed) 00:57:09)


地域:[関東] 

ウチ、学校の帰りに電車に乗ってたの。1両目って空いてるから好きだった。
警笛が聞こえてたけど、いつまでも鳴りやまないので顔を上げたら びっくり!
車掌さんがマイクで何か叫んでいた。「後部車両に避難してくださいーーーー!」
???ウチは立ち上がり、2両目へ向かう。他の乗客もやっと立ち上がり初めて
パニック!2両目へ行くドアに人が集まりすぎてドアが開かない。間に合わない。
ウチは、どこかに体を押しつけて掴まることにした。万が一 車両が脱線しても
ケガが少ないように!キキキーーー!悲鳴のようなブレーキ音。
ウチは、頭にカバンをかぶせて身を縮めた。対ショック防御態勢。
ガクン ぷしゅー・・・・・   シーン   ・・・・・
おそるおそる 顔を上げると 他の乗客は すでに窓から外を眺めていた。
踏切の軽自動車は 車輪と数センチの差で 激突を免れたらしい。
電車は何事も無かったように発車し、ウチは自宅に帰り着いた。

あの時は、自分の乗った車両が脱線して損壊し ガラスの割れた窓から脱出する
自分を思い浮かべましたよ。一瞬、自分だけは、生き残ってやる!と思った。

列車事故で亡くなった方々に対して、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


石井ゆかり 2205/4/28  石井ゆかりの星占い

常磐道でバスが横転

フランスでもバスが横転。

電車の事故も、トレーラーの衝突とか、続いている。

飛行機事故は、一般に、「続く」といわれているけど

電車やバスの事故がこうも頻発するのは

どういうことなんだろう。

当事者ではないけれど

強いショックを受けたので

日記他に「書きたい」という気持ちが起こる。

でも

今、被害を受けた人たちの周りにいる人や

その人たちを思いやる人の心に

二次災害

を起こさないような文章が書けるのかどうか、と

怖くて仕方がない。

強い共感のようなものを抱いているのに

言葉がすれ違って

相手に、更に痛みを課してしまうことって

どんな場合でも めずらしくない。

だから

怖い。

子宮ガンをわずらった方のサイト

http://www.geocities.jp/armisael95/index.html

の「お見舞いについて」というページで

お見舞いの時の「NGワード」というのがいろいろ書かれてあった。

 NG:「自分だったら絶えられない、だから貴方はエライ、スゴイ、立派!」

 >私も人ごとの時はそう思ってたけど、言われてみると違和感あります。いたたまれないっス。

そうなんだよな。

善意のかたまりでも

共感しまくっていても

その人が大事で自分の一部のようにおもえる家族であってさえ

相手の心にしっくりこないことや

相手が苦しくなるようなことを

つるん

と言ってしまうことがあるんだよな。

母がこないだ、言っていた。

「だれか辛い目にあって嘆いている人がいるとき、

『そういうことがあったから、人の気持ちが分かるようになるんだ』

って、気休めみたいなもんだとおもってたけど

本当に本当にそうなのよね!」

と。

本当に本当に、そうなんだ。

当事者になってみないと絶対に解らないことは、ある。

私が美人で、スタイルが良く

私が賢くて、オカネモチで、社会的地位もあって

幸福でモテモテだったら

きっと、占いなんか出来ないだろう。

失恋や片思いで苦しみ抜き、孤独にあえぎ、生活に苦しみ

失敗の連続の中なりふり構わずもがき、人に迷惑もかけ、人を傷つけ

そうしてやってきたからこそ

「みんなつらいのよ、ガマンしなさい」

なんて言わないでいられる。

辛いときは辛いんだ。厳然と辛い。絶対的に唯一無二に辛い。

つらさで、人と比較なんかされたくない。他人と一緒くたにされたって辛いのは治らない。

あとで考えてみたらどんなにばかばかしいことでも

リアルタイムには

それを乗り越えることが大問題の大勝負なのだ。

客観的に

なんて

なれない。

今、遠く離れて、大きな事故を見て、強いショックを受け

日々携わっている仕事や、発信している言葉の意味を考え

とても苦しく、嫌な気分になったりする。

自分がとても無力に思えるし、同時に

自分がとても傲慢にも、思える。

まよったり、なやんだり、つらい。

そんななかふと、

私の最強リスペクトパーソンでいらっしゃる

ますたー様のサイトを のぞいた。

http://maxim.jp/index.html

掲示板に、事故についての記事を発見した。

そしたら

碇が心の中に、ずん、と、降りた。

そうか。そうだった。とおもった。

> 今回、あの列車に乗ってた人の10人に1人以上死んでしまった訳だ

> 俺様の信念でいうと→『想像は創造に構造される』

> 「その人が想った現実」が起きた..というわけだが

> 考えてたが..、難しいな 今回は..

星占いするとき

「どういうときでも、何か意味がある。どんな出来事にも、価値がある」

って言ってる私。

でも、こんなことに巻き込まれたときは どうすればいいんだろう?

みんなに大事に思われていた人が

突然、いなくなる。

毎日、手足をめいっぱい使って仕事やスポーツにうちこんでいた人が

突然、重いケガをし、四肢を失う。動けなくなる。

そんなとき知ったかぶりに

「このことに価値がある」

なんて、絶対に言えない!思えない!

いつも自分が使っているアイデアが通用しなくなる局面、

それで私は、自分が書くことがイヤになってしまったんだ。

確信が持てなくなってしまったんだ。

> 「事故に逢うかもしれない」「死にたい」と想った人ばかりが

> その列車に道引かれて行ったという仮定になる..

> そう考えると「マフイーの法則」

> つまり、「潜在意識」は使いかた で『恐ろしい結末』にも、なる訳だ

私がいつも使っている持論でいけば

「その人が死を呼び寄せた」

「死ぬことでしか解決できないことがあった」

ということになってしまう。

でも、あきらかに、ここでは、そうじゃない。

> もし、5号が その列車に乗ろうと思ってもドアが開いた瞬間 辞めたろう

> 俺様の仮説でいうなら げげげの鬼太郎の「妖怪列車」と同じだから    

> 自分1人の構造と何百人もの人の構造が結びつく

> そう考えれば、やはり みんな意識というのは『ひとつ』じゃないのか

> と想えてくる

事故が続き

ミスが続く。

今回の大事故が起こってから何が起きた、

JR西日本では、置き石や発煙筒を使ったいたずらが頻発し

ダイヤの乱れが続いているというじゃないか!

一体、なにがおこっているの?

わからない。理解できない。

> 個別の事柄は納得出来るけど

> 大規模な死は..理解するのが困難だな

> まだ、今回は「その列車に乗る」ように構造されて行った

> と、仮定しても..

> たとえば、広島の「原爆」とかは..

> いろんな想いの人の結末が「同じ」というのはさすがの俺様もまだ、理解出来ん

そうなんだ。

もしも、

思いが、結果を呼ぶ

とするなら、

人間が自分の意志で人生をかならず変えていけるなら、

そんな大きな出来事は、どう考えればいいんだろう。

不可避の、逃れられないことがある

運命は決まっている

ってことになってしまうんだろうか?

私も、同じとまどいを感じている。

> こんな事故が起きるといつも想い出すのは「歌舞伎町キャバクラ火災」

> あの時は、そんなとこ行ってる人も働いてる人も「死んで当然、自己責任」..って

> 風潮だった

> 同じ『死』に 違いがあるのだろうか

> 通り魔で子供を殺す事件も多い

> 運転事故で70人死なせてしまった運転手、

> 死者の数で、悪さも変わるんだろうか

そうだ、私もそう考えた。

今回は悲惨な、何十人も亡くなった事故、

でも、毎日、1人2人と、事故でなくなっている。

自分のことでなければ特にショックも受けずに見過ごしてしまう事故。

今尼崎で泣いている人と全く同じ涙を

毎日、日本中で流しているひとがいるのだ。

分散していることと、大規模であること。

動機があることと、ないこと。

ここにどんな差があるというんだろう?

> 国鉄民営化の前日「民営化反対ー」とデモしてた同級生が

> 次の日、「新しいJRよろしくー」とビラを配ってるんや..俺

> って言ってた事も、なんとなく思い出した

私は、

この事件には、私のいつもの道具が通用しない

と思った瞬間

一足飛びに「正解」を探そうとしたから、苦しかったんだ。

ますたーはそうじゃない。

いつもの自分の確信のところから

嘘をつかず、飾りもせずに、一歩一歩進む。

わからなければ「わからんな」という。

もしなにかあって、万が一

「あ、自分のいつもの原則ってちがったな」と思うことがあったりしたとしても

そう気づいてしまったら、てらいもなくすかっとハッキリそう言うだろう。

人はいつだって

自分の立ち位置からしか、歩き出せない。

私にはその根性がなかったんだ

だから、辛かったんだ。

そう思ったら

大きなため息が出て

重心が少し、下に降りた。

自分が何を感じ、どう思い、どう考えるべきかを見いだすのは

いつでもとても難しい。

こういうとき

それを目の当たりにして

自分の弱さを感じ

情けなくて

涙が出る。